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BERO |
今日は宜しくお願いします。まず、自己紹介から・・。
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元永 |
LOVE FMの元永です。ラジオ局で営業・編成をやってます。
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BERO |
福岡市が運営する「福岡音楽ポータルサイト」サイトでもコラムを書かれてますね。
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元永 |
好きなので(笑)、お手伝いさせていただいてます。時々、ミュージシャンのインタビューなども直接やらせてもらってます。ゴクゴク、限られたターゲットになってますが(笑)。
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編集長 (以下TOMO) |
次は僕ですね。1979年から1985年くらいまでブルージャグ(雑誌)を立ち上げてやってました。途中から副編集長の大石氏に引き継いで29号まで出たのかな。その後、SWIMという名称に変わって3号まで出て、そこから休刊状態。
今は、当時の記事のアーカイブサイトを立ち上げてお守してます。
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BERO |
今回、そのサイトのリニューアル・スタートを記念して座談会をやろうということで集まっていただきました。
まずは、やはりブルージャグの歴史からということで・・。TOMOさん、そもそも当時でもかなり珍しいアマチュア音楽雑誌を発行しようとなったいきさつを教えてください。
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TOMO |
いきなり、テーマが絞りこまれたね(笑)。
もともとバンドをやってたんですが、79年に解散して、当時よく出てた昭和も閉鎖された頃だったんです。アマチュアバンドが出演できるラジオ番組もあったんだけど、スポンサーの関係で終わったりだとか、そんな時だったなぁ。で、ちょうどバンドも解散したし、ここでメディアを立ち上げないと福岡の音楽の広がりがなくなってしまうと思い、菅ちゃん(多夢のマスター)達仲間と集まって何かやりたいという所からスタートしました。
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BERO |
菅さんも絡んでたんですね。
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TOMO |
うん。ブルージャグの名付け親は菅さん。
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元永& BERO |
へぇ〜。
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BERO |
その当時、元永さんは何をしてましたか?
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元永 |
高校生でしたね。 大学生とか社会人だったら、情報なしでもライブハウスに行けたと思いますが高校生だったんで、それは怖かったんですよ。そんな時、ブルージャグやL-Motionラグ(TV番組)などの情報があったのは凄く助かってましたね。
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BERO |
アマチュアを素材とした雑誌というのは、かなり画期的な存在でしたよね。
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TOMO |
そうだね。当時、紀伊国屋などに雑誌を持っていくと「珍しいですね」と言われたり。あと、国立国会図書館が9号まで置いてくれてるんですよ。
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元永 |
たしか5号からカラーになりましたよね。
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TOMO |
よく覚えてるね(笑)。5号まで出して・・、資金が無くなって(笑)暫く休刊してたんですが、お金がたまったんでカラーで発行しました。
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元永 |
ブルージャグの思い出のひとつに、何号かに「兎に角、・・」と書かれてて、「ウサギにツノ? どういう意味かいな?」と悩んだ記憶がありますね(笑)。
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TOMO |
あぁー(笑)。「兎に角(とにかく)」ね。漱石とか、よく使ってるんだけどね(笑)。
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元永 |
その頃「ロックは外国のものだ」と思っていて、距離感がありハリウッドスター的な手の届かないとこにあるもんだと思ってましたね。たまにコンサートがあっても九電記念体育館とかに恐る恐る行ったり(笑)。
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TOMO |
そうね。当時はそうだったね。
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元永 |
生まれて初めてみたロックコンサートは、ベイシティローラーズだったんですよ。歌謡曲とかでもなく、いきなり(笑)。
そんな感じでロック!、イコール海外の音楽と思っていたんですが、友達のお兄さんが地元のバンドの友達だという人がいて、福岡のバンドって面白いよって情報が入ってきて、バンドの演奏テープを聴く機会が増え興味を持つようになりましたね。その頃に、シーナ&ザ・ロケッツがデビューし、その後80年にロッカーズ、ルースターズ、81年にモッズがデビュー。
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TOMO |
ちょうど、福岡が盛り上がっていった頃だね。
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元永 |
僕の高校生時代に、ドンドンドンと(笑)。80's Factory もその頃でしたよね。
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BERO |
伝説の80's! ライブがないときは、椅子とテーブルがあって飲食できましたよね。
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元永 |
僕は高校生だったのでライブに通うだけでした。今思うと残念だったなと思いますね。酒飲んだりできないから恐る恐る行って、大人の雰囲気だけを楽しんで帰るという(笑)。80's Factoryは本格的なバンドが出るライブハウスという位置づけでしたからね。で、俺も高校卒業したらバンドでここに出たいなぁ・・と。
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TOMO |
当時のライブハウスというと、80's Factory、グリーンビレッジ、ドラム・・・。 あと、多夢。いろいろあったね。
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元永 |
ただ、80's Factoryは高い位置にステージがあったところが他とは違ってましたよね。憧れのバンドを見上げるような感じで観てましたからね。ミュージシャンがステージの下の楽屋から登場したり、もしくはお客さんの中をプロレス入場みたいに入ってきたりとか。そこからカッコ良かったですね。
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BERO |
懐かしー!
で、そこで活躍してたバンドというと、さきほど名前がでたモッズ、ロッカーズ、モダンドールズ、・・
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元永 |
フルノイズ、マーキーズ・・、いっぱいいましたね。
で、同時期にテレビのL-Motionラグのスタジオライブが放映されていたりで、ものすごく恵まれていましたね。
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TOMO |
そうだね。バンドもどんどん出てきて、メディアも一気に盛り上がった時代だったね。FBSのサウンドインパルスというのもあったなぁ。そうそう、ブルージャグの4号か5号の時にFM福岡の川本ディレクターが来られて番組をしないかという話をいただき、ライブエクスプロージョン(命名はTOMO氏)がスタートしたんだよね。
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BERO |
こういった流れを振り返ると、福岡の音楽が盛り上がった要因にはアマチュアを応援してくれたメディアの存在が外せないことがわかりますね。
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TOMO |
そうね。アマチュアに思い入れを持ってくれていたディレクター達がいてくれたからこそ、というのもあるよね。それは、チューリップが昭和に出だしたあたりからずっとあったような気がするね。
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BERO |
メディアの人に限らず、ジュークの松本さんやボーダーラインの甫足さんたちのようにアマチュアバンドを応援している人たちは、いつもどこかに存在してますね。そういうとこも福岡は凄いですよね。
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元永 |
多分、そういう方たちって気持ちで応援していたと思うんですよ。
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TOMO |
そうだね。
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元永 |
テレビにしろラジオにしろ、ノンスポンサーでアマチュアのミュージシャンだけを応援する番組ってなかなか難しいと思いますよ。(説得力、かなりあり)
そういうことが当時行われていたのを見ていたので自分が放送の仕事をするようになってからも地元のミュージシャンを応援したいと思いますもん。
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TOMO |
あと音楽シーンだけじゃなくって映画のサークルなんかも頑張ってたよね。テアトル西新の柴田さんとか、今思うとマニアックな音楽映画など上映してくれてたよね。
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BERO |
そうそう、オールナイトでよくやってました。小さな映画館でしたが、BOWIEやストーンズの映画特集などの時はオールナイトなのに満席で。入場チケットを今だに持ってますよ。
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TOMO |
音楽に負けないくらい映画も頑張ってた流れがあるからこそ石井相互監督なんか福岡のシーンに自然と馴染むんですよね。
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元永 |
「狂い咲きサンダーロード」はモッズの音楽を使ってますしね。80'で公開記念のライブもありましたよね。
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BERO |
そういえば先日、元永さんが80'のマッチを持ってるという話をしてましたね。
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元永 |
ただのマッチなので人が見たらたいしたことないんでしょうけど、「工場」!って文字がなんか記念にいいんじゃないかとコッソリ持って帰ってましたね(笑)。
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BERO |
貴重ですよ! (当時80'sのスタッフをやってた)ニャンニャンも持ってないですよ(笑)。
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TOMO |
80's Factoryは、いろんな意味で注目を浴びていて、ライブハウス関係者が内装とか運営はどうやってるか等を全国から見に来てたんだよね。
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BERO |
よく行ってたんだけど、内装なんかううろ覚えですよ。そうそう「ロッカーズ」の映画を観てなんとなく思い出して、すごく懐かしかった!
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元永 |
ロゴがちゃんとオリジナルで出てきたので感動しました(笑)。おぉー! と。 ただ、あそこまでキラビヤカじゃなかったような(笑)。
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BERO |
(笑)。さて、福岡もどんどん盛り上がってきたんですが、ある時期に転換期を迎えたような気がするのですが。
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元永 |
僕個人としては、82年に高校を卒業して大学に入ると時間も思いっきりあるので、ライブに何の規制もなく行くようになったんですが、その頃はモッズもルースターズも東京に行ってしまい、ロッカーズは早々と解散してしまいましたが(笑)、ハカパラ、フルノイズ、キッズ、アンジー、モダンドールズなどが出てきて、ビート系だけでない百花繚乱時代に突入した感じがしますね。で、80'もなくなったことで今度はバンド単位でいろいろな企画を打ち出すようになり、それまでと違った意味で面白かったですね。
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TOMO |
確かに。
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元永 |
84年くらいにモダンドールズは都久志会館をソールドアウトにしたんですよ! 凄いですよ。
僕、チケットを買ってたんですが最初はビブレホールだったんです。でも、あまりにもチケットが売れちゃって、途中から会場を移したんですよね。それが満杯に! あの頃が博多のアマチュアバンド界の全盛だったと言えるんじゃないですか。
でも、86年くらいになると仕事におわれて、だんだんライブから遠のいていった時期があるんです。
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BERO |
それは、仕事のせいだと思いますか? 実は私も、80年代後半くらいから観に行かなくなってるんです。その後の音楽シーンはどんな感じになったんでしょうか?
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TOMO |
僕も、その頃雑誌をやってなかったので、あんまりちゃんと観てなかったんだよね。
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BERO |
え〜! という事は、その後も博多のミュージックシーンは盛り上がっていたかもしれないけど、ここにいる3人は、知らない(笑)ということで。
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元永 |
(笑)。ところで福岡のバンドがプロデビューする時の話をしていいですか。モッズやロッカーズがデビューした頃、みんなハングリー精神があったような気がしますが、いかがでしょう。「東京に行ってくるぜ!」みたいなライブをやるじゃないですか。「東京ん連中には負けんもんね!」みたいな気合を入れて(笑)。今は東京に対して心理的な距離感は無くなりましたが、当時は物理的な距離感もさることながら心理的な距離感というか、東京に行くからには恥ずかしいことはできんばい!みたいな事で腹をくくって出て行くような部分があったような気がしますね。想像するに。1回、地元で落とし前をつけるライブをやってから、行ってくるぜ! みたいな。
たしかロッカーズは「ツイストやらサザンオールスターズやらに負けられんぜ!」みたいな事を言ってたような記憶がありますね。
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TOMO |
外に対してもだけど、内にもそれがあって、負けられんぜっていう精神が相乗的な効果を生み出して自然と活性化せざるおえなかったんだよね。バンド間の負けられんぜっていう意識が技術に磨きをかける努力や個性をだすことに繋がっていたんだね。
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BERO |
福岡のバンドは、実力は勿論、自分達の見せ方に長けてましたね。
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TOMO |
そうね。福岡はチューリップから始まって、いろんなバンドのデビューを見て肌で感じて、方法論はある程度見えてたんだと思うんですよ。そういうのがずっと伝承していってるわけですよ。でも、それがだんだん飽和状態になって方法論が通用しなくなってきて、新たな方法論の模索状態に入っていったような気がする。
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BERO |
話しが繋がるか不安ですが、バンドの個性も飽和状態になっていったような。
そうなる前、マスコミから「めんたいビート」という言葉でひとくくりにされた時期もありましたが、そう言われてたバンドは、実際はそれぞれの強烈な個性を持ってましたよね。どれひとつかぶってない個性!
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TOMO |
いいバンドがひしめきあう中で自分達のバンドの存在意義を示すために、頑張るしかなかったし個性を出さざるおえなかったというか。それが良かったのかな。
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BERO |
で、個性は違うんだけど、スピリットは同じものを持っていたような気がする。
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元永 |
そうですね。ドラムとか80's Factoryのライブに行って感じてたのが、・・どのバンドも本気なんですよね。面構えとか、ステージ上の態度とか。プロもアマチュアも関係ないんですよ。ステージに上がったら「俺が世界で一番たい」くらいの感じで、カッコつけないかんくさ!みたいな。それが、カッコいいんですよね。ロックは海の向こうのものと思っていたのが、手の届きそうなところで本気な人たちがドーンとやっとると。凄かったですね。
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TOMO |
そうだね。本気モードのスピリットを福岡のバンドから感じることができてたね。
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元永 |
だって、目の前でクリームパフェとか食べてるようなショッパーズのイベントスペースでモダンドールズとかが、ガガガガガってやっても(笑)営業くさくなくって、「俺達がイカシタROCKば聴かしちゃるぜ」みたいな感じで、
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TOMO |
まさに(笑)。
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BERO |
ロッカーのオーラ出しまくり、みたいな(笑)。
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To be continued.....
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