現在、東京で活躍する松川泰之(MODERNDOLLZ)に、初めて楽器を手にした頃から現在に至るまでの音楽活動についてうかがった。(藤原BERO)
松川: 現時点で、VELVETZにドラムがいないのと、何年もずっとやり続けてきたのもあり、丁度いい機会という事で、しばらく充電中です。 個人的に、有史からロック全盛までを再検証してます。
松川: 最近でいい物は皆無ですね。しかし、ここに来て今まで世には決して出なかったような昔の映像で信じられないような物が続々と入手出来るようになり、そちらに走ってます。 永ちゃんジョニーのキャロルのドキュメントを見た時は生きてて良かった〜と思いました。 ちょっと前はビーチボーイズ、60’Sガール・サーフ・ガレージ物、最近はフランキーライモン、ジョニーバーネット、ハウスロッカッツ等がヘビーローテーションですね。映像で。
松川: う〜ん、何か自分の得意な物を探してて、ロック・・・稼げる? もてる? といった事からでしょうか。
松川: そりゃぁ、ええ、まぁ・・・(笑)。
松川: 一等最初はフォークギターでしたね。次はポールマッカートニーや永ちゃんの影響からリッケンバッカーのベース。ホワイトファルコンを買おうとしましたが、高校生でローンがおりず断念しました。最近やっと夢をかなえましたよ。
松川:ベースはもっぱらコピーの段階で、ステージとかでは1度も弾いた事はないです。 でも、アレンジをやるにあったては役に立ってますね。
松川:高校の時、アメリカングラフィティーに影響されて、学園祭・自分等の企画で50'sのコピーを演りました。バンド名は「ルージュ」。“ジョニーBグッド”“アットザホップ”“スタンドバイミー”とか演ってました。
松川:高校のバンド仲間で本格的にやろうと思ってたのは自分だけだったんです。 だからライブハウスや大学の学園祭などを回っては、今後の方向性やメンバー探しをやってました。そうしてるうちに、「MODS」「ROCKERS」「MODERNDOLLS」を知り、ブリティッシュロック系に走り、加入という流れに。パンク・リアルタイムの頃ですね。
松川:(苦)丁度、メンバーが抜けた所だったので、一大決心で持ちかけたんです。 年下の立場としては、根性見せるしかなかったです。信長の草履を秀吉が温めたようなもんですか。
松川:それまでは自分が大将でやってきてましたが、年上と組むのも初めてだったのもあり大変でした。佐谷氏の印象は、語り草になってるように普段は無茶苦茶やってましたが、文学・哲学的で光る物がありましたね。
松川:フェンダーUSAのストラトを高校の頃から使ってました。当時、輸入ギターなんて福岡にはなくて、ベスト電器に何本か飾ってあるだけでしたね。 その後すぐ、「キースリチャーズ」「ミックジョーンズ」の影響から“レスポールジュニア”“レスポールスタンダード”(50年代型のレプリカが初めて出たのを即行買いました)になり、当時アンプを誰も持ってない時代でしたが、ジミヘンと同じマーシャルを買いました。 その頃のスタジオやレンタルのアンプは、ほんとひどかった。
松川: そ〜ですねぇ(泣)。漠然としたイメージを具体化したり、対外的な根回しなど細かい事までやってましたね。ライブの打ち上げも大変で、訳わかんない奴とかもいたりして、支払いの穴埋めで出演料も毎回使い果たしてましたわ。
松川: 約6年位。
松川: バンド至上主義だったので、何かあると仕事さぼったりして誰かの所に泊り込みで曲練ったり、特訓とかしてましたね。各パートで、叱咤される事もありましたが、そいう時はメンバー全員で試行錯誤しました。
松川: 曲のイメージ、アレンジを練るために、貪欲にジャズでも歌謡曲でもいろんなものを聴いてましたね。ステージングは「デビッドボウイ」「クラッシュ」「ストーンズ」を真面目に研究しました。
松川: ジャンプに関してはこれといったキメは作りませんでしたが、研究の結果、飛ぶ瞬間、周りの対応が重要と考えました。また、アクセントでは一人の動きではなく、全体で同時に動くことでインパクトは何倍にもなるんじゃないかと。
松川: みんなそれぞれ、やりやすかったですよ。 ただ、今考えると自分自身のスタイルがまだ確立しきれてなかったので、今ならこうするというのはあります。
松川: アレンジという面はないですが、作品としてまとめたいですね。
松川: 当時、上り調子の時で、ビブレホールで毎月やってたんですが、キャパの300人に入りきれなくなり、客席前方に殺到して救急車を呼ぶ事態にまでなってしまったんです。それでイベンターをやってたエミ氏に相談した所、都久志会館でやろうという事になりました。 実際、当日ステージに出るまで客は入るのか不安でしたね。色々な方面の人が協力してくれて成功したと思います。
松川: 更に上を目指しましたね。その後の自信になった事は確かだし、東京にもバンドパワーが鳴り響いたと思います。
松川: いまだに人からも言われますが、レスポールスタンダードですか。一番多く、写真や映像にも残ってますね。
松川: はるばる東京からレコーディングチームで見に来たり、東京の寮に泊り込みでプレゼンやったり、単発の話などありましたが、実際納得出来る条件はありませんでした。
松川: 東京で再び組んだ時に話しましたが、私は悔いはないと言いました。
松川: 佐谷氏の真意を聞く事はなかったですね。
松川: あの頃は音楽的に隔たりが出来、私からやめると言いました。
松川: 与えられた時間の中で成し遂げられなかったというだけの事。当時はあれこれ考える余裕はなかったですね。どうしようもないです。
松川: 音楽的な違いでやめましたから、私がああだこうだ言うものではないですね。
松川: たまたま別のバンドで対バンしてたりしてて、周りも盛り上げてくれたので。
松川: 自分の音楽歴はこれが土台になってると、再認識しました。
松川: 小峰氏より携帯にメールが来て知りました。 そこまで命をすり減らしてまでROCKしていたのかと呆然となりました。
松川: 東京でも行なったですが、何よりたくさんの人が集まってくれて、みんなの記憶に残ってるんだなとシミジミ思いました。
松川: ジャガーです。やっぱりモダンドールズの思い出が詰まってますから。
松川: そりゃあ 死ぬの早すぎばい と。
松川: 比較にはならないと思いますが、ビートルズにしても、たまたまその時期に、そこで出会い、そのメンバーになったという・・。偶発性ではないですかね。 あとはそれを知ってる人の評価で、そう言っていただけて光栄です。
松川: 財産。
松川: 機会があれば。
松川: やりたいんですけどね。それも機会があれば。・・去年やったの知ってます?
松川: たまたまだったのかも知れないけど、いろいろ手助けをしてくれる方たちに恵まれてました。音楽的バックボーンも福岡でなければ構築されないものを得たと思います。 今帰ると、街もすっかり変わって浦島太郎状態ですが、食い物はやっぱり博多。
松川: 人が多い分だけ一つ一つの存在は薄れて見えるんじゃないかな。また数の多い分、人々は情報など、メディアなどに頼り切りになってるのかな。
松川: HEAT WAVE→JUNK ART→BE BYOND→MODERNDOLLZ→AKAKURO→VELVETZ→WILD-G (サポート含)
松川: ギターを探してたらしく数回やりましたが、やはり私は私なりの方向でやりたいという事になりました。
松川: 1989年だったですか。JUNK ARTでバンドごと。
松川: 対バンやライブの打ち上げで。
松川: う〜ん、最初から仲良かったり、こっちの事を知ってる人とでしたから違和感もないし、自然にやれましたね。活動にあたっては、いろんな場所や人はいますけど自然にベクトルのあう所にみんな集まってくるって感じですか。
松川: 去年ライブした時は色々話しましたが、結構年代も近い人達でしたね。
松川: 福岡を出て相当時間も経ったので、どうなってるのか逆にこっちから聞いてみたいですね。(笑)
松川: 10月にVELVETZのLIVEがありますが、序々に体制を整えていきたいと思います。 突発的に弾き語りなどもあるかも。
松川: 最近5〜60’Sばかリ見聞いてるので、一体どんなバンドになるんでしょう・・。