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  福岡音楽情報サイト「Blue Jug」TOP > 福岡ROCK百科 > コラム > ロックンロールのベルサイユ宮殿 それは80‘s Factory、イェイ!(寺本祐司)
コラム


"2000年代"リスト


2007.03.05
ロックンロールのベルサイユ宮殿 それは80‘s Factory、イェイ!

ロックンロールのベルサイユ宮殿 それは80‘s Factory、イェイ!

親不孝通り
     道や通りをあらわすことばは多い。ストリート、たとえばWall StreetやDoobie Street。ロード、たとえばAbbey RoadとかTobacco RoadとかCooper’s Hill Road。ちなみにabbeyは修道院。レーン、たとえばペニーレーンPenny Lane。ルート、たとえばRoot 66。アベニュー、Music Avenueっうラジオ番組あったよね。ウェイ、たとえばMy WayとかWellington WayとかMilky Way。ブールバード、たとえば461 Ocean Boulevard。ブールバードは、すくなからず軍事的な意図をもってつくられた道だそうだ。
     「恋人たちのブールバード」はシブがき隊。「ブールバードに車を停めて」はモダンドールズ。日産のブルーバードと間違えないように。
     親不孝通りは、英語だとどうなるのか。
     親不孝通りには気合の入った自動車も沢山集結していて、ささいなことで喧嘩になった。車のドアがベコベコになってたりした。一番スゴかったのは、車の上、運転席の上のあたりのルーフの部分でジャンプしながら車を破壊している光景を見た。
     男子は二人組みで親不孝近辺を周回して女性に声をかける。女子も二人組で周回して、声をかけてもらう状況をつくっていたと思う。
     「ねえ、キミたち...」
     と声をかけると、振り返った女子はさっきも声かけた娘で
     「おめえら、ここば何周しよっとや」
     ということもママあった。
     親不孝通りを歩き公園内をななめに横切った、その先に80’s Factoryがあった。


てっしい村
     急がなくちゃ、急がなくちゃと天神を走っていた。公民館で合コンじゃ。
     公民館といっても、いわゆる町の公民館ではなく、公民館という名前のパブ。急ぎすぎて場所を聞くのを忘れた。携帯のない70年代のこと、公民館にたどりつく手立てを失った。と思っていると、西鉄福岡駅に、センターシネマとかスポーツセンターのすぐ近くに交番。
     「すみません。道を教えて下さい。公民館ってどこにありますかね?」
     「天神に公民館はなかばい」
     と冷たいお巡りさん。
     「いや、実際は公民館という名前のパブです」
     「あ〜、ますます分かりませんね」
     そのお巡りさん、交番内の同僚に助けをもとめるも情報皆無。落胆して交番をでるとたまたま、オネエに遭遇。
     「ねえ、公民館ってどこね」
     「公民館は...」
     オネエが女神に見えた。オネエつづけて
     「公民館を交番で聞いても分かるはずないたい。ハハハハハハハ」
     オネエに礼をいってそのままダッシュで公民館へ。

     沢田研二とか流行ってて、桑名正博も流行ってた。白い帽子、キャップじゃなくてハットを頭にのせて、白いパンツをはいた男子が沢山いた。それこそ街を歩けば、つくだ煮にするくらい、油炒めにするくらいいた。
     公民館で合コン開始。そうこうしていると、店のスタッフが白い帽子に白いパンツ、沢田研二風のいでたちで登場。店内の一番いい場所に立った。すると

        ッタタター、ッタタター

     と、ファニーカンパニーを解散して、芸能路線、歌謡路線に走った桑名正博の「哀愁トゥナイト」のイントロ。やおらその沢田風スタッフは「哀愁トゥナイト」を熱唱しはじめた。フリをつけて、なりきりで、流し目などしながら

     哀愁トゥナイト 哀愁トゥナイト 男と女...

     沢田風スタッフは、フルコーラスがっつり歌い終えた。そしてポップスターのように恭しく礼をして退場。店内は大拍手。スタッフの追っかけ女子も沢山いた。スタッフは高額なお金不要のプチホスト状態だった。というわけでこの店では、スタッフによるミニショータイムがあった。
     スタッフは、「はい、よろこんで」と酒や料理を運ぶだけではない。70年代後半のスタッフはナウいというか、アメリカ流というか、自由で、権利を主張する。マそういう感じなのだ。歌も歌うし、客にへいこらするのではなく、むしろ心は客より上の立場。
     私も、以後、カラオケを歌う時は、「哀愁トゥナイト」と決めていた。でも、この曲、キーが高い上に、テンポも速く。チューハイなどたらふく飲んだ後に熱唱すると、酔いと酸欠で死にそうになる。結局レパートリーからはずしてしまった。
     公民館は、80’s Factoryと同じくてっしい村系列の店だった。80‘s Factoryは、工場と呼ばれていた。公民館に工場、すごいユニークなネーミングだ。あと倉庫とか放送局という名前のパブも系列店にあった。すごいっしょ。
     「天神に工場ありますか?」
     交番で聞いても80‘s Factoryの場所は分からないだろう。


花じゃむ
     フラワージャム。なんとビューティフルな響きだろう。

       と思っていた。花じゃむ3とか花じゃむ4とかどんどん店が増えていた。なんか「花より男子2」みたい。花じゃむも80’s Factoryと同じ系列の店。
     あまり道徳的で健全な話ではないが、花じゃむといえば、女子に声をかけてアタックする店と認識していた。それで

       フラワージャム。なんとビューティフルな響きだろう。

       ということになる。サントリーのホワイトを痛飲していた。美味しかったなあの頃のホワイトは。だいたいのヤングはホワイト飲んでいた、と思う。これって庶民の意見?
     たまにバイトの先輩などが、サントリーの角を飲ませてくれた。先輩が神様に見えた。正直、味は分からなかった。しかし角ビンのその厳かなフォルムとたたずまいが、美味しい、絶対美味しいはず、激うまウィスキーだ。と信じて疑わなかった。角を花じゃむで飲んでいると、ちょっと偉くなったような、リッチな気分になった。先輩、あなた男でした。
     あるとき花じゃむでオールドを飲んでいる女性二人組を発見。オールド!お〜なんと高級な酒を飲んでいるのか。どちらの社長令嬢かと思った。いつもホワイトばかり飲んでいたので、オールドなんて天然記念物級。マ今で言う叶姉妹ぐらいのインパクトがあったな、あの時の女性二人組。
     今では、ディスカウントのリカーショップに行けば、角もオールドも大変お求め安い価格になっている。70年代後半から80年代前半、てっしい村チェーンで感じたオーラとは別の輝きを放っている。で、ホワイトだが、リカーショップでは、目線ではない棚にひっそりとたたずんでいる。私は今でも時々買って飲む。


ダンスホールという尾崎豊のナンバーがある。
     天神から明治通りを行き橋を渡ってすぐ左手に城山ホテルがあった。ホテルの中には、スターダストというダンスホールがあった。クラブでもディスコティックでもないダンスホール。なんとノスタルジックな響きだろう。私は当時、どちらかと言うとディスコ派。
    とういか、ようやくディスコのフロアーにたって、フラフラ踊るのに羞恥心がなくなった頃だった。
     で、その城山ホテルのスターダストだが、ダンパ、ディスコよりさらに高尚でハードルが高かった。ジルバ、ルンバ、マンボのステップを取得していないと踊れないのだ。上級者ペアになるとタンゴやワルツを華麗に舞っている。これはいかん。先輩の合コンの人数埋め合わせで、スターダストにデビューしたのだが、殆どの時間ミラーボールを見ていた。
    まさに涙のミラーボール。先輩たちは女子大生をリードして華麗にジルバを踊っている。
    私は、テーブルの中華風ワタリガニの身などをつついていた。想像するに、スターダストの料理は、ホテルのバイキングを流用していたと思う。味はなかなかよかった。
     先輩がいうには、クリスタルキングが、ここで演奏していたとのこと。クリキンはすでにメジャーデビュー済み。スターダストにクリキンのなごりは皆無だった。
     スターダストでも、時々ロックンロールを演奏してくれた。そのときはフロアーでフラフラ踊った。ラストにジャズのスタンダードStardustを演奏していた。お約束のチークダンス。これはくっついてユラユラしていればいいのでなんとかなった。
     ホーン軍団のしっかりしたバンドが演奏していた。スマイリー小原とダン池田をたして2で割ったような指揮者がいた。山下達郎の曲をカバーする、ハンサムな歌手がいた。名前は分からないが、歌はしっかり覚えている。
     その頃、ビブレはニチイという名前だった。


バクダン
     てっしい村チェーンの店にはスペシアルメニューバクダンがあった。バクダンか爆弾かばくだんか、メニューにどう書いてあったか失念。どんぶり飯一杯分くらいある丸いおにぎりで、黒々としたノリが、贅沢に綺麗に巻いてあった。
    白飯にいろんなものが混ぜ込んであってマルチな味がして、宝石箱とかIT革命のコメントを超えていたと思う。ボリュームあって前頭葉が爆発するくらい美味かった。
     何が入ってたかな。ナメコ、ベニショウガ、ゴマ...分からん。思いだせない。10種類くらいの具が入てったと思う。ふりかけ入ってたかな。シャケは。ジャコは。忘れた。
     バクダンおにぎりは、いろんな店にあるけど、てっしいのは、ひと味ちがってた。たしか導火線に見立てた花火は刺さってなかったと思う。いつも泥酔したシメに、二人で一個とか食べてた。美味かったのはしっかり覚えている。世の中適当に料理する人も多いけど、バクダンは、多数のパネラーで具の配合と調合を吟味して、改良、工夫、創意ののちに完成させたものだと思う。
     何度か自作のバクダンを、と思ったこともある。でも多数の具などをそろえるだけで破産しそうな財布だったので、作るにはいたらなかった。
     他のメニューは思い出せない。チキンバスケット?あったかな。それとサラダとかも。


80‘s Factory
     私は80‘s Factoryではよろしくない客だった。ライブは学祭やホールや他のライブハウスで見ていて、80‘s Factoryは花じゃむと同じくナンパのスポットまたは、ひたすら酒を飲む場と認識していた。
     だから、親不孝通りを周回して女子に声をかけて、花じゃむになだれ込むように、80‘s Factoryになだれ込もうとした。すると、扉は閉ざされていて、無理やり中に入ろうとすると
     「今日はライブですよ」
     スタッフが顔を出し、困った妻夫木聡のような感じで言った。ロックンロールハーツのない酔ったお兄様とお姉さまはお帰り下さい。という感じだった。
     別の時は、80‘s Factoryでダチと二人で飲んでいて、近くのテーブルの女性客に
     「一緒に飲もう。いいやん。いいやん」
     とか言ってたら。
     「当店でそのようなことをされては困ります」
     と店のスタッフにキツク言われた。80‘s Factoryの風下にもおけない悪い客だった。寂しい。哀しい。惨め。
     「でも、花じゃむでは怒られなかったよ」
     と、心の中でつぶやいて、ホワイトをゴクリ。

     80‘s Factoryでのモダンドールズとフロム’80のライブ、ニャンニャン様の話、店内でおこったアクシデントなどは、重複するのでここでは書きません。Blue Jugのサイトをあちこちクリックして探してみて下さい。


80‘s Factoryに捧げます
     FM福岡を聞いていると、ビブレホールでのモダンドールズのライブ音源が流れた。
     「80‘s Factoryに捧げます」
     と佐谷光敏がいって、はじまった曲「ブラインド越しの俺達」。
     その時、初めて聞いたんだけど、胸がジーンときて、なんとなく泣きそうなくらい感動した。古い表現をするとシビレた。ライブなのにこの音のよさ。音がコモらず、きれいに集音、録音されている。さすがはFM福岡だ。

     当時、私はビンボーで、可能な限りモダンドールズを追っかけていたけど、シティ情報ふくおかを毎週買う財力もなく、情報不足だったり、資金不足だたりで、ときどきモダンを見逃していた。上記のビブレライブもなぜか欠席で、音はFM福岡で記事は雑誌で見た。その時のライブはかなり強力で、GSなみに失神者が出たと聞いている。その後、ビブレではおさまらず、都久志会館へと会場を移すことになる。その時の「デッドローズ」のテイクもかなりのものでベストパフォーマンスの一つではないかと思う。
     当時は、カメラもビデオももたず、自分では何一つ記録を残していないが、2007年は、高性能のAV機器やパソコンも普及していて、古のライブ映像や音源を知人の知人から入手できるようになった。


今はあとかたもなく安酒場になっちまって
     なんか、合コンと飲酒の話ばかりになってしまった。今となっては80‘s Factoryの招かれざる客だったことを反省している。80‘s Factoryを含めた当時のてっしい村チェーンは、ヤングアダルトな博多っ子の文化というか風俗で、とにかく圧倒的に熱く、濃く、スリルがあった。あんなに店は繁盛していたのに、少しずつ店が消えていった。その原因、いまだに疑問。その後は、村さ来祭、ぶあいそ、ポパイの好きなほうれん草、ジョン万次郎、晴れたり曇ったり、丘の上の馬鹿とかに行くようになった。佐谷光敏風にいうと“安酒場”といことだ。でも決して値段の安い店ではない。晴れたり曇ったりでウニ、アワビ、イカなどばんばん食べて、ばんばん飲んだらものすごい勘定になったことがある。安酒場の“安”はロックのポリシーがないと解釈すべきだろう。
     親不孝通りには、いわし専門店もあった。小さな映画館もあった。あと武田鉄矢の店もあった。その店で飲んでいると横にクールな男性がいた。よくよく話を聞くとモッズ森山の兄上。ほほ〜ん、ほほ〜ん。と話し込んでしまった。
     「俺に兄貴やらおらん」
     といわれたらどうしよう。今でも本物の兄上と信じている。


おわりに
     今、80‘s Factorが再建されるとしたら、どのような名前になるのか。2007年だから...80‘s じゃなくて。とりあえず21st Century’s Factoryかな。

     80‘s Factoryとスタッフとバンドの皆様に感謝致します。






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