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福岡音楽情報サイト「Blue Jug」TOP > 福岡ROCK百科 > コラム > ダンス・博多・ダンス(寺本祐司)
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学生服姿の友人が
「インディペンデントハウスに行ってきたじぇ」
というと、クラス中の男子が彼のまわりに集まった。
「どげんとこ?」「どげんとこや?」「どげんやった?」
と一躍スーパースターになった。ディスコに行っただけなのに。
70年代に流行っていた曲は、スティビー・ワンダーの「スーパースティション」。邦題は「迷信」。それとテンプテーションズの「ゲットレディ」。それらの曲にはフリというかステップがあって、それをマスターしないと踊れないのだ。あとは仲間はずれね。
ディスコでは、フリを100%マスターした軍団がフロアを占める。フリを知らない人は、格下。すみの方で、フリをまねながら小さくなって踊るのだ。時々間違えたりして、えらくかっこ悪い。
教室では、インディペンデントハウス経験済のワルによるダンス教室が開講された。

昭和の子供は、親戚の集まりでおじさんおばさんを前にして歌を歌うなんて無理。元来とてもシャイな性格。初めて行った短大主催のダンスパーティもあまり楽しめなかった。
会場の壁に寄り添ってじっとしていた。バンドの選曲もダンスを考慮したものではない。
ヘビメタではなかなか踊れない。
ダンパの趣旨は、ダンスすることとナンパすることにあるが、演奏する側からすると、人前で大音響で好きな音楽を演ることとモテルことが大切。
一緒にいたダチにこう言った。
「おめさ、踊らねか?」
「おら、やんだ。おめこそ踊れ」
「おめが踊るなら、おらも踊るっぺ」
「ならば、二人してステージ脇さいって踊るか?」
「そう、すっぺ。そう、すっぺ」
と言った感じ。ロン毛、タートルネック、黒ぶちメガネのイモにいちゃんが沢山いた。
ダンパに行けば女子にアタックできる、ギャルをナンパできるとギラギラな感じで、会場に行くのだが、現実はダンスもろくにできない情けない状況だった。
合コンは合同コンパ。この言葉はいまでも生き残っている。あと、合同ハイキング、合ハイというのもあった。ダンパも合コンも合ハイも、羞恥心の壁をブチ破ることから始まる。

その後、ちまたのディスコは、サタデイナイトフィーバで、ジョン・トラボルタのファッションやビージーズの曲が人気。男子は白い服を着て右手を上げていた。マ、分かりやすく言うとアクセルホッパーが沢山いた。
EWFの「宇宙のファンタジー」が流行った頃は、みんな手をあげてフラフラ踊っていた。
あとABBAとかも流行った。「ジン、ジン、ジンギスカ〜ン」とか「ハロー、ハロー、ミスターモンキー」とかやたら絶叫したり、飛び跳ねたりした時期もある。YMCAとかも大流行だけど、ビレッジピープルってレーザーラモンHGと同じファッションの人がいるんだよね。

天神から明治通りを行き橋を渡ってすぐ左手に城山ホテルがあった。ホテルの中には、スターダストというダンスホールがあった。クラブでもディスコティックでもないダンスホール。なんとノスタルジックな響きだろう。私は当時、どちらかと言うとディスコ派。
とういか、ようやくディスコのフロアーにたって、フラフラ踊るのに羞恥心がなくなった頃だった。
で、その城山ホテルのスターダストだが、ダンパ、ディスコよりさらに高尚でハードルが高かった。ジルバ、ルンバ、マンボのステップを取得していないと踊れないのだ。上級者ペアになるとタンゴやワルツを華麗に舞っている。これはいかん。先輩の合コンの人数埋め合わせで、スターダストにデビューしたのだが、殆どの時間ミラーボールを見ていた。
まさに涙のミラーボール。先輩たちは女子大生をリードして華麗にジルバを踊っている。
私は、テーブルの中華風ワタリガニの身などをつついていた。想像するに、スターダストの料理は、ホテルのバイキングを流用していたと思う。味はなかなかよかった。
先輩がいうには、クリスタルキングが、ここで演奏していたとのこと。クリキンはすでにメジャーデビュー済み。スターダストにクリキンのなごりは皆無だった。
スターダストでも、時々ロックンロールを演奏してくれた。そのときはフロアーでフラフラ踊った。ラストにジャズのスタンダードStardustを演奏していた。お約束のチークダンス。これはくっついてユラユラしていればいいのでなんとかなった。
ホーン軍団のしっかりしたバンドが演奏していた。スマイリー小原とダン池田をたして2で割ったような指揮者がいた。山下達郎の曲をカバーする、ハンサムな歌手がいた。名前は分からないが、歌はしっかり覚えている。
その頃、ビブレはニチイという名前だった。

じつは結構ボサノバとか好きで、アントニオ・カルロス・ジョビンのCDも何枚かもってる。スティーリーダンとかサンタナにも名曲がある。モダンドールズ脱退後、松川泰之はジャンクアートを結成する。ジャンクアートのJazz me babyには、なななんとボサノバの曲が入ってる。ヤッホーと狂喜したのを思い出す。もう20年ほど前の話だけど。
名前はジャンクだけど、ぜんぜんジャンクじゃなくて、逆にとても洗練されている。
松川泰之のモダン脱退はとてもショッキングだった。その後、ジャンクアート結成するまでの間に、お金がたまって音楽機材を購入したと雑誌の記事で読んだことがある。それで、シークエンサーとか駆使した
チャカポコ チャカポコ...
の無機的な音が満載で、気持ちいいのです。BACKSTREET IN LOVEでは流れるような松川の電気ボサノバギターが聞ける。
チャラララ チャ、チャン
チャラララ チャ、チャン
ギターフレットを滑らかにスライドして、ちょっと妖艶な曲になっています。福島宗樹のビブラートのきいたボイスと絶妙のからみを披露している。そして歌詞中には、ジョセフィーヌが登場する。ナポレオン・ボナパルドの奥様と同じ名前。
モダンドールズは、ジャングルビート、マージービート、ボ・ディドリー・ビート、ブギ...など様々なタイプの曲を生み出したが、ボサノバの曲は思い出せない。そこがジャンクアートの新しい部分の一つと考えることができるだろう。

インスタントラブのイントロはめちゃめちゃカッコいい。モダンドールズが美しく輝いていた。DANDY FRENZY STORYのジャケットもカッコいい。

ノイズがリリースされた頃、キッズ(The Kids)はノリノリ。ビブレホールの動員記録更新。その動員記録のライブを見た。演奏の音量も大きいし歓声も大きい。ステージ前は女子が何重にも取り巻いていて、ギュウギュウのおしくら饅頭。逆光のスポットライトの中に、かろうじてパツキン千葉ヒロシの逆毛が見えた。
桐明は、気持ちがイイくらい高音をはれるボーカリストで、あんな風に歌えたらさぞ気分爽快だろうと思っていた。千葉はその桐明のボーカルの隙間に、激シャウトで絶叫。ヘ〜イとかハイッとか言ってて、吼えてるだけだけど、スゴイんだ。
彼らのFMの番組も好調。おしゃべりもなかなか上手かった。聞きやすい。聞いてて気持ちいい。スタジオライブなんかもやってて、ほんと臨場感ある音だった。生ギター1本でジャンジャカ演るときもあった。
その頃のイキのいい曲は、美しくアレンジされてメジャーからリリースしたCDに入っている。ストーンヘンジのジャケ写真とかよかったなぁ。

| Wo! Wo! Do you wanna dance?
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ダンスといえば、マサのいたモードメーカーを思い出す。このバンドとにかく時代の先を行ってた感じがする。ルックスがいい。マサは、なんか大地真央に似てた。美系で化粧のノリもバッチグー。歌もかなり上手くて、声もよい。ポップな歌詞がどんどん聞こえてくる。歌詞が伝わる。フレーズやメロディが心にしみる。それでいてダンサブル。歌詞が伝わるので、今でも何曲かそらで口ずさめる感じ。でもタイトルを思い出せない。
Wo! Wo! Do you wanna dance?
Wo! Wo! Do you wanna dance?
と歌っていた。マサは、男らしいボーイ・ジョージのイメージだった。このバンド、着てるものもオシャレでファッショナブル。なんかお金持ちのお坊ちゃんとお嬢さんが、垢抜け〜た感じでバンドやっているという感じ。
ベースの坂本リュウタはテクニシャンでチョッパーがベロンベロンのベションベションだった。ラリー・グラハムかスタンリー・クラークか。っちゅう感じだった。リズム隊がしっかりしてると安心。
武田ユキヒロがサックスを吹いて、これで完璧という感じ。で、このバンドは、金持ってそうな雰囲気まんまんで、シークエンサーとかデジテル機器も充実していた。でもそれら最新の機器は、ようやく普及し始めたころで、ちょいちょい、トラブッて演奏不能になったりする。オートマの自動車のバッテリーがあがった感じで、押しガケもできない。しかし、この小奇麗なバンドはMCも絶妙で、マサが
「僕達って機械との相性悪いんだよね〜」
と東京弁でいうと、会場の女子にハハハハハ、とか受けていた。
マサは、いたって落ち着いたDJオズマか悪のりしないカールスモーキー石井のような面もあって、彼のまわりにはゴシップや噂がつきまとっていた。もうじきメジャーデビューとか上京してレコーディング中とか、そういうニュースがよく伝わってきた。

80年の中ごろスターダストはなくなり、改装されてディスコカフェ・キャッツとなった。開店時、キャッツはすごい人気でそれこそ行列ができるほどだった。こちらはジルバが踊れなくとも、普通に体を動かせばなんとかなった。
今なら普通だけど、踊りつかれてカウンターにもどると、モニターがいくつか設置されてて、無音でミュージックビデオがながれていた。デビッド・カバーディルがいた頃のディープパープルやマイケル・マクドナルドがフロントだったドゥービーのライブ映像を無料で見ることができた。80年代はまだまだビデオデッキは高級品だった。MTVが始まるまでは、動くロックスターの映像もレアだった。
FMでキッズやモダンやモードメーカーをきいていると、たびたび
「ディスコカフェ、キャーッツ!」
とか絶叫するCMが流れていた。
一度、私とダチでとんでもないことをやらかしたことがある。どちらも相手の財布をあてにしていたのだ。閉店時にキャッツを出るとき清算。しかしどちらも金はなく、支払いができない。店のスタッフは激怒。困った困ったこまどり姉妹。最終的には、平謝りして、ツケにしてもらった。ディスコをツケにするのは珍しいのでは。後日、ちゃんと支払いに行きました。
別のダチは、オカマバーをツケにしていたら、昼間オカマが集金に来て大変だったと言っていた。オカマやゲイがまだまだダークサイドにいた時代のことだ。
中洲の東京第一ホテル福岡にはチューダーインハカタがあった。タカクラホテル福岡のダンパにも行った。ちょっと毛色は変わるが、ベニス、ミナミなども酔客で満員のダンススペースだった。しかし、こういうところで働きながら修行している、ロックギタリストやドラマーもいた。映画ロッカーズにも、そういうシーンがある。
そういった店はいずれも私にはちょっと場違いな感じで勘定が高かった。行った次の日からは、サッポロ一番みそラーメンの生活がはじまった。バンドマンもやたら出費がかさむはずだ。アンジー水戸が「インスタントラーメンには具を入れて食べなければならない」
と語っていた。ヒートウェイヴ山口は、ソーメンに関してかなりこだわりがあった。
ラジオシティというディスコもあった。モダンのピクチャーソノシートの写真撮影はそこで行われた。あとマリアクラブとか。
渋谷のナイロン100%、新宿ツバキハウスなどちょいちょい名前を聞いていた。行ってみたいな〜と思っていたが結局行けずじまい。東京のディスコではイベントやライブも行われていてマルチな感じだった。

70年代後半のこと。箱崎のラーメン店やおでん店に行くとKさんがいた。Kさんはロッカー。でも、そのときはもう音楽活動はしていなかったと思う。
「ロックンロールが一番いい」
と言っていた。
2007年1月に箱崎に行った。そのラーメン店もおでん店も今はない。しかし渡辺通りにそのラーメン店があると情報が入った。
そして探しました。ありましたよ。で食べました。
カウンターだけの店だったのに新店舗は広々としていた。歌手、お笑い芸人、タレント、プロレスラー、スポーツ関係者のサインが沢山張ってあった。50セントとか2パックとかビヨンセの曲が流れるおしゃれな店になっていた。
ブラインド越しの俺たちが、さらにブラインド越しになった。
謝辞
貴重な音源と映像を提供して頂いたCimaさんに感謝いたします。

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