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レポート


"1980年代"リスト

[Blue Jug] 6号--1982.05.25

博多のROCK-SCENE めんたいロックは地に落ちたか。 by. DANCE 森 千春

何が新しい音楽か〜いつの時代も音楽業界の動きは、この一点にしぼられる。すなわち「次にきたるべきものは何か」というやつである。
音楽にはファッションと同様、何年周期というものが確かにあるようだ。それは二年ほど前からのヘビィメタルブーム、そして最近のオールディーズブームを見れば容易に想像できよう。ヘビィメタル、パンク、フュージョン、テクノポップと激しくうつりかわるブームという怪物。そしてそのたびマスコミや一部のバカな評論家に踊らされる中、高校生をみているとかわいそうな気持ちにさえなってくる。
僕はここでヘビィメタルはどうだとか、テクノポップはいいとか悪いとか論じるつもりは毛頭ない。大切なのは今これを読んでいるあなたが、音楽に夢中になって狂っているあなたが、その中にひそむ本質をしっかり、とらえようとしているかどうかということである。なんで音楽を聴くのにそんなこむずかしい理屈をならべんといかんとや。聴いてて楽しけりゃいいやないや。「音楽」という字は音を楽しむと書くっちぇ〜(ひと昔前の青春ドラマにこんなのがありましたなぁ)という人たちはそれでいいとしても、少なくとも音楽を一生心の友として愛していきたいというからには、これでは少しさびしくはないか。人間誰でも死ぬ時には、あぁ、おれが信じて愛したものはやはり本物だった、おれが惚れた女はやはり最高だったなぁと信じて死にたいものだ。なにも今日からみんないっせいに黒人ブルースを聴きなさいと言っているのではない。レコード化された音楽のもつどうしようもない二面性〜音楽はそれ自体独立したものであると同時に、それが商売として成り立たねばならない〜から、前述したような現象は、音楽業界全体の活性化をうながす必要悪として、みなさなければならないのかもしれない(だとしたらそれは悲しいことではあるのだが)が、ぼくが最も憂うのは、これらの現象が、わが街博多のロックシーンにも見えはじめているような気がしてならない点である。
もともと博多のロックシーンというものは、時にはあたかも意固地になって、周囲のブームを拒否しているかにさえ見えるような形で発展してきた。
SONHOUSE〜最近になって何かと語られることの多いこの伝説的なグループは、まだ日本に本格的なブルースブームがおとずれる前に、ブルースバンドとして結成された。後にオリジナルのロックンロールを演奏するバンドへとその姿をかえたわけだが、グループのもつ本質的な指向性は全く変わることなく、ロックンロール、ヴギウギの持つ楽しさ、そしてブルースのもつ哀しさを表現しえた、日本最高のロックンロールバンドのひとつであったと、ぼくは今でも信じている。だか、このSONHOUSEというバンドが当時果たして俗にいうところの成功をおさめたと言えるかどうか。「有頂天」「仁輪加」がリリースされた時、ぼくはまだ中学生だったが、その当時でさえ、SONHOUSEの名前すら知らないロック好きの友人がごまんといた。ところがおなじロックンロールバンドでもCAROLはロックバンドとしては当時圧倒的な商業的成功をおさめたという。それは今でもロックンロールといえば、皮ジャン、リーゼントでバイオリンベースをかかえて絶叫するというパターンが多いことでもわかるが、これはCAROLのアメリカナイズされた音、ルックスに「ナウい!」と飛びついた一般のロックファンが、SONHOUSEのブルースをルーツにもつ、重く、力強く、そしてどこかもの悲しさをもつビートに反応しなかったせいではないかと思う。(一年ほど前、本当にラッキーにも鮎川 誠さんと話をする機会にめぐまれ、ぼくにとっては神のような鮎川さんを前にしてコーフンし、以上のことをとうとうと力説すると、鮎川さんは、ひとことやさしく「そうやね」と言ってくれたのです)

「あのあれやんね、俺たちでいうならさ、よそのバンドがしよう曲やら絶対せんやったよ。今、よそのバンドやら東京のバンドがする曲を、喜んでするやろ…(中略)…俺たちは、サンハウスは人よりさきにブルース。みんながアホのごと、ジョンメイオールやら喜びよったけん、あ、つまらん、つまらんいうて。エルモアジェームスやらしょって、そげんもんで、今あんまり周り見て、自分たちのレパートリー決めるっていうげなさ、イージーすぎてスリルも全然ない、ていう感じがあるみたいね」(Blue-Jug 第3号より、鮎川 誠氏談)

商業ペースに巻きこまれることなく、流行や周囲の動きに左右されずに、ただ自分が信じた音をがんこなまでに追求していこうとするこういった姿勢は、感動的ですらある。そしてこういった姿勢は、その後の博多ロッカーたちによってうけつがれてきた。それは時として、世界のミュージックシーン、日本のロック界とあまりにかけはなれた印象をあたえることすらあったにせよ、ここ数年、SHEENA&ROKKETSが注目をあび、ROCKERSやMODSがプロとしてデビューし、博多は日本のミュージックシーンの熱い一点として一躍全国の注目をあびるまでに至った。
だがここにきて、こういった博多の状況に微妙な変化を感じるのは、ぼくだけであろうか。MODSやROCKERSは、まぎれもなく日本のロックの新しい動き、ニューウェイヴであり、めんたいロックなどと呼ばれて一種のブームともいえる。気になるのは、こうしていわば逆輸入の形で中央からはいってくるブームに、博多のミュージシャンたち、演奏する側でのっかろうとする動きが感じられることだ。その結果、そこに見られるのは「MODSがはやればみなMODS」というやつである。誤解をまねくといけないので書くが、ぼく自身はMODSは大好きだしカッコいいと思うし、今、日本で最も熱いグループのひとつだと思っている。だが、だからといってMODSはふたつはいらない。ひとつで充分だ。ROCKERSにしてもROKKETSにしても同様だ。
ぼくは自分自身バンドをやることもあって、よくライブハウスに出かけるが、そこで見られるのは、どれも同じような服を着て、髪の毛をおっ立て、似たような退屈な曲を演奏するバンドたちである。もちろん、博多には自分のうたうべきものをしっかり見きわめ、追求していこうとしているバンドもまだまだ多い。
だが前述したようなバンドのステージには、もはや何のスリルもコーフンも感じない。こういう服を着たらいけないとか、髪の毛をおっ立ててはいけないとか言っているのではない。大切なのはバンドとして第三者にうったえようとしている人たちが、本当にそのやっていこうとする音楽の本質をみきわめようとしているか、うたうべきものをもっているのかどうかということだ。それがないバンドには何の主張も感じられないのは当然のことである。それはミュージシャンでも何でもなく、ただの「風俗かぶれ」だからである。
最近、巷でよく言われるように、本当に博多のロックシーンには危機がおとずれているのか。ロックというのは厄介なもので、ジミヘンドリックスの時代から、何かと言えばすぐ、死んだ、死んだと、殺されつづけ、そのたびによみがえってきた。だが、今一度、博多のミュージシャンたちの間に、自己の内側に燃えあがるどうしようもないものを言葉にし、歌にし、音としてぶつけるという姿勢が生まれないかぎり、今度こそ博多のロックシーンなどというものは消えてなくなってしまうだろう。それがいやなら、まず、めんたいロックなどという肩書きはとっぱらってしまうことだ。
いつの時代も「ギターは買った、さて、何を唄おうか」というのではなく「どうしても唄いたいものがあるから、ギターを買って弦をはる」というようにありたいものだ。



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