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レポート


"1980年代"リスト

[Blue Jug] 8号--1982.09.25

FROM KITAKYU

 人間が音に対して反応するとき、まず一番最初に音と音の差異として認知するものは、ヴォリュームの大小といったところだろう。極端に大きな音は人間の日常的感覚をおびやかしたりするものだ。でも音楽を聴く場合は別で、聴き手は日常的感覚を微妙にズレているはずである。聴く構えの有無で問題は微妙なニュアンスを持ってくる。

 ロック・コンサートなんか、いつでも耳が痛くなるような大きな音だ。また、それでなくては面白くない。僕の思うかぎり、音の大ささとは多分に心理的意味合いガ絡むものだ。楽器の場合でいえば、物理的にヴォリュームが大きいことじゃなく、楽器の限界的な音、これが楽器における大きな音だと思う。演奏者達は、自分の好きな音で、音階的なレヴェルだけじゃなく、楽器固有の常識的なひき方による常識的なヴォリュームじゃなく、肉体を極限にもってゆき楽器の秩序をぶちこわすような演奏をしてもらいたい。

 音楽には、言葉のついている「歌」と楽器だけの器楽とがある。もちろん両方とも音楽である以上、本質に変りはないんだけど。唄における言葉はリズム、ハーモニー、メロディーといった、諸要と有機的に結びついて音楽の一部となすものだから、これは絶対に文学における言葉とは違うものだ。

 ファッツ・ドミノは言った。「歌詞は決してはっきり歌うべきでない。」そしてミック・ジャガーがとても影響されたというこの言葉の意味するところは、すべてが一体となった音楽をやれということではないが、ロックそのもの、基本的には、黒人音楽から歌詞を含めすべてを一体にすることを学んでいるのではないか。乱暴な言い方になると、さまざまな音と重なって「ヴォーカルがかき消されることもある。聴き取りにくいことも多いけれど、個々のフレイズは耳に入って印象に残る。そのフレイズの与えるイメージがキーになり、主体のメッセージが伝わってくる。それでいいと思う。また、聴き手による歌詞がわかるということは、その歌詞の使用している言語が理解できるかどうかとは別の事柄である。それは日本語でも英語の場合でも同じことである。それに先程言ったように歌は文学ではないからだ。歌い方や歌いまわしの端々にこめている無限のニュアンスが、一つ一つの言葉のニュアンスと結びつかない以上だめだと思う。そう考えると歌詞がわかるといえば、母国語以上にまず無理であるような結論が出る。でも、そう難いことはヌキにして、リズムに合せケツでも振って踊りながら聞いた方が、音楽の本質に近づいていると思うね。陽気に音楽を楽しんだ方がやはりいいと思う。単純に率直にね、これが一番だね。

 反体制的ROCK=何々と声もあるが、ロックもただ音楽としての表現でしかないと思うし、現実と幻想とわかれる表現領域をしっかりつかんでおくことが大切だと思う。そして音楽はたとえどんな主題を付与されようとも、音によって表現される限り、音楽として幻想領域に属するしかありえない。

 一つ一つのレコードは一体どんな意見をもって僕の前に存在するのだろう。僕の内部にだけ、音楽の記憶を形づくるだけなのだろうか。ただ判っていることは、レコードは生演奏と違うということ。レコードは二流のメッセージなのだ。レコードに出来るだけ近くなって演奏をやってる人達っている、そういうのって逆に規制するレコードのもつ恐ろしさだね、ほんと。

 大切なのは粘り強い演奏活動だということだ。コンサートやレコードは、日常的活動とのダイナミックな対応関係を持っていなければならない。それが欠落すれば、商品の種類の増加と拡大を意味することにとどまる。メデイアを利用することが、遂にメディアによって利用されることへと転倒させられる。そうなっては悲しすぎる。

 難いことを書きすぎました。この辺で楽に北九州の音楽状況について語ろう。

 小倉に常時ロック・バンドの演奏が見れる“BOX”という所がある。しかし、地元バンドによる演奏だけでは、客の入りが悪いようだ。お気に入りのバンドしか見ない、またお気に入りのバンドカラーに合せた、異様な連中を最近では、見かけることが少ない。どのバンドの演奏に出かけても、客の大半は、いつもの顔ぶれというところだ。BOXに行けばいつでも見られるという馴れが出てきたのか、それとも熱くさせられるパント達がいないのか。そうした風景を成り立たせているものは? この意味(コミュニケーションのあり方が問われる)を問い直さなければいけないと思う。それは、壁に向かってポールを投げ続ける孤独なゲームにも似ている。本当は側への方向づけこそがなさなければいけないのに・・。

 最後に、今、僕の気に入っているバントを紹介しときます。平均年齢18才という、アップ・ビート・アンダー・グラウンド。演奏スタイルはモロ、ラモーンズという雰囲気で、ゴキゲンです。ポップ感覚溢れる、ロックン・ロール・バンド、J・J・アンド・ティアーズ、8月からは、J・Jヌキのティアーズでの演奏も見せてくれるという。先が楽しみなバンド。たのきんの「ヨツちやん」とも見事セッションをやってのけた、ハイヒール、etc。
それから博多のバンド、フルノイズ、彼らは最高だね。モタンドールズ。

 博多のバンドも小倉にどんどん演奏に来てもらいたい。まだ。小倉のバンドは博多へと。小倉と博多は隣町だからね。



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